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王瓊 (北魏) : ウィキペディア日本語版
王瓊 (北魏)[おう けい]
王瓊(おう けい、454年 - 527年)は、北魏官僚は世珍。本貫太原郡晋陽県
== 経歴 ==
王宝興の子として生まれた。長社侯の爵位を嗣いだ。485年太和9年)、典寺令となった。492年(太和16年)、侯の爵位から伯に降格された。長女を孝文帝の後宮に入内させて嬪とし、前軍将軍・并州大中正に任じられた。正始年間、光州刺史として出向した。収賄の嫌疑をかけられて、御史中尉の王顕による弾劾を受けたが、冤罪を晴らすことができた。神亀年間、左将軍兗州刺史に任じられた。兗州から洛陽に帰ると、数年のあいだくすぶっていた。住所は司空劉騰の邸宅の西にあり、ときに劉騰が朝野で権勢を伸ばしていたが、王瓊は伺候しようとしなかった。劉騰が邸宅を拡張しようと、隣家を買い取ったが、ひとり王瓊だけが応じなかった。王瓊は娘を盧道亮にとつがせたが、娘は夫の家に入ることを承知しなかった。娘が死去すると、王瓊は慟哭してやまず、娘の生前の希望に沿って別所に葬らせ、塚穴を塞がず、墓の構内で泣くのを常とした。当時の人は王瓊の行動を怪しんで、醜行を疑った。王瓊は耳が聞こえなくなり、奇行が多く知られて、他者の嘲笑を受けるようになった。527年孝昌3年)、鎮東将軍・金紫光禄大夫・中書令に任じられた。まもなく死去した。享年は74。征北将軍・中書監・并州刺史の位を追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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